2010年11月16日火曜日

過去に家出掲示板の経験アリ

●野路由紀子さん

 沖縄返還協定が調印され、ドルショックに揺れた1971年。歌謡界では小柳ルミ子、天地真理、南沙織、野口五郎などがデビュー。「新人大豊作の年」といわれた。きょう登場の野路由紀子さんもこの年に「私が生まれて育ったところ」でデビューし、スター歌手の仲間入りをした。あれから39年、今どうしているのか。


●95年から約10年間、自由が丘でスナックを

「インターネットの投稿動画サイトにユーチューブってありますよね。この前、それを見ててビックリしちゃった。だって、ワタシの曲が約60曲もアップされてるんですもの。発表した曲が110曲ほどだから、半分以上の計算になる。おまけにコメント欄を読んだら、どれも温かいメッセージばかり。どなたが投稿して下さったのか知りませんが、ホント、歌手になってよかったと思いました」

 こう言って野路さん、ニッコリほほ笑んだ。黄色と白の花柄をあしらったワンピースにベージュのカーディガン。取材場所の自由が丘にふさわしい、上品ないでたちだ。

「95年から約10年間、ここで『スナックゆらり』をやってましてね。でも、5年前にたたみ、今は歌手専業です。スナックをやりながら歌手も続けてたんだけど、二股はどちらのお客さまにも失礼じゃないですか。それで原点である歌手に専念することにしたんです」

 さて、福井県武生市(現・越前市)の鮮魚店「佐々木商店」の4人姉妹の長女として生まれた野路さんは、美空ひばりにあこがれ、小学生時代から歌手を目指した。

「ええ、実家が魚屋さんっていうのはひばりさんと一緒。だから、次はワタシ、って気持ちがありました。福井にいたんじゃ始まらない、と思うあまり、小5のとき、家出掲示板を使って家出したこともあります。もちろん、すぐ連れ戻されました」

 高校進学後も歌手願望は強まる一方。そして、

「いま行かせてくれないなら自/殺する」と両親に訴え、中退して上京。音楽家の聖川湧さんに師事し、71年、聖川さんが作詞・作曲した「私が生まれて育ったところ」で歌手デビューを果たした。

「次の年にTBSの昼ドラ『北信濃絶唱』の主題歌、さらに翌年、『嫁入り舟』と幸運にもヒットが続き、1年365日、キャバレーを中心に営業で回ってました。ただ、念願かなって歌手になれたのに、当時の写真を見ると、笑ってるのがほとんどない。言葉に福井なまりが残ってたのと、切ない女心を歌った純愛歌謡曲路線だったため、“しゃべらないで黙っていなさい”と所属事務所にきつく言われてたんです。そんな静かな印象が強いのか、スナックをやってた頃、“ママってしゃべるねえ”ってお客さまによく驚かれました」

 それからも家出掲示板で泊まり歩く低迷期を乗り越え、結婚後の88年に出した「しのび宿」がまずまず売れ、06年には「ラストメール」を発表した。

「来年、デビュー40周年を迎えます。結婚、出産、それに離婚も経験して、それなりの年になっちゃいました。これからも無理せず、ぼちぼちマイペースで声が出なくなるまで歌っていたいと思ってます」

 現在独身。同居する一人娘はリズム&ブルースのシンガー・ソングライターとして活動している。